#3 迷子のおでこ



ちいさな男の子だった。


週末、混雑したスーパーの野菜売り場。

「うわーん。うわーん。」

と全力で泣きながら歩いている。


マスクをものともしない声。

ぎゅっと作られたちいさな握りこぶしが、声以上に意志をもって「たすけて」と伝えているように見えた。


あらぁ。

まぁ。

と、大人たちはモーゼの海割りのように彼に道を開ける。


そしてその道はなんとわたしに辿り着いた。


泣いていた彼の目がそろそろと薄く開き、わたしをとらえる。

これは…ロックオンだ。


一週間分の山盛りのカートを横にやり、

「迷子になっちゃったの?」

と屈んで話しかけてみた。


すると、彼はぴたと泣き止みコクと頷いた。


かわいい。

かわいすぎる。

天使だ。


「おばちゃんと一緒にお店の人のところに行こうか?」


コク。


手を差し出すと素直につないでくれてホッとした。



10年前。

わが家の子供たちもスーパーで迷子になったことがある。

ぐるぐるぐるぐる探し回っても姿が見えない。

恥を捨てて大声で名前も呼んでみたが出てこない。

一角にある花屋に聞き込みをした。

「兄妹そろって入ってきましたよ。お花の匂いをかぎにきたの~って」

ああ。

うちの子に間違いない。

スーパーの中にはいるはず、とアナウンスを頼むことにした。

するとまもなく二人揃ってどこからともなくぴょこんと現れ、「ママー」と駆け寄ってきた。

あの時の底が抜けそうな恐怖は、その後の安堵感と共に今もひやりと生々しく覚えている。


さて、このつないだちいさな手。

久しぶりのその感触に感動すら覚える。


お店の人はどこかな~、と再び泣き出してしまわぬよう気まずい間をつなぐように口ずさむ。


青果担当のお兄さんを見つけ「迷子ちゃんです」と伝えると不慣れなバイト君だったようでもじもじと目が泳いでいる。

あちゃ。

人選ミスか。


すると、ちいさな手がさらにぎゅっとつながれた。

足元の彼は、汗で前髪がはりついたおでこを微動だにせず、ただ真っ直ぐに前を見据えている。

大丈夫よ、と伝えるためにつないだ手をゆっくりと上下に振った。


「どうされました?」

すぐにベテラン風のスタッフが駆け寄ってきて、状況を把握し、彼を引き取ると言う。


お願いします、とつないだ手をスタッフに差し出すが、ちいさな手が離れない。

そっと離そうと、もう片方の手を添える。

すると、はらと離れた手が思った以上にちいさくて、かわいくて。

ものの数分でまんまとわたしはこの子と離れがたくなり、寂しさで胸がしめつけられてしまったのだ。


「ママ、だめだよ!」


帰宅してこの話を娘にすると一喝されてしまった。

「それじゃゆうかいはんになっちゃうよ」と。

誘拐なんてしてないよ。


「でもその気持ちがすでに誘拐犯だよ」と。


だってすごくすごくかわいかったのよ。

ママを見て泣き止んで手をつないで、その手を離そうとしないで。


「いや、その子お母さんいるし」

そうね。

分かってるよ。


ただ久しぶりのちいさな手の感触がたまらなく愛おしく感じてしまったのは事実。

もちろん誘拐なんてしないけれど。


彼はベテランスタッフとも素直に手をつなぎ、当然振り返ることもなく連れて行かれた。

ここで後ろ髪を引かれている、なんて素振りは見せてはいけない。

わたしも彼に見習い素直に、混雑したスーパーの客のひとりとなる。

山盛りのカートを押しながら、振り返りそうになる自分をなんとか制した。


無事お母さんと会えたかしら。

しばらくしてそれらしきアナウンスが流れたから、すぐに若いお母さんがあたふたと駆け寄りあのちいさな肩をぎゅうっと抱きしめたに違いない。

汗だくのおでこをやさしい手でぬぐってもらって、ようやく彼も安心できたことだろう。



そして10年後。

そのお母さんもきっと懐かしく振り返る。

スーパーでうちの子迷子になったのよねぇ。

今じゃこんなに大きくなって、生意気言って、声まで変わり始めちゃった。


泣き虫で、ちいさくって。

あら?

そういえばあなた、あの時誰に助けてもらったの?

なんて。


それね、わたしです。

とってもかわいい、しっかりとしたいい子でしたよ。



                    text by haru

こはる日和にとける

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ

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