#8 祖父とレンゲ草



そろそろ上京して30年になる。

胃がしくしくと泣くような痛みが記憶に染みついて、いまだ東京の春は苦手だ。



それは大学時代。

嫌がおうにも突きつけられる"自分"という、存在。



不安のかたまりのようなわたしには、春はにぎやかで無邪気で眩しすぎて。

特段、苦しく、そして寂しかった。





大学構内には幾種類もの花がぎっしりと咲き誇る。

花たちは複雑で甘ったるいにおいを漂わせ

そこかしこで新入生たちが光を放って溢れかえっていた。



20才のわたしは3年目となっても慣れない東京で、めいっぱいの笑顔を作りながら

ああ、また春が始まった、と息が浅くなる。



当時その季節が巡るたび、まるで穴に落ちるように故郷が恋しくなっていた。



咄嗟に、春がまだ明るく穏やかなものだった幼い頃、祖父と行ったレンゲ畑の記憶に駆け込む。





祖父は「カッカッカ」という独特の声で豪快に笑う人だった。

そしておんぼろのワゴン車であちこちと出掛けていく姿も同時に思い出す。



見るからにおじいちゃんという風情なのに、おじいちゃんという域に収まらない漲るパワーに溢れた人だった。



ある時、祖父が気まぐれで花見に誘ってくれたことがある。



「暇なら花見にでも行かんね」

年中鍵が開けっ放しの裏の玄関を、がらりと開けての第一声。

よく通るその声だけで顔を見るまでもなく祖父と分かる。



「じいちゃん!」

わたしと妹は駆け寄り、しおらしく挨拶をした。

母も寄ってきて「何事ね?」と驚いている。

たしかに、祖父からどこかに誘われるなど滅多にないことだ。



「山ん行こうと思て。花も見頃やろうからちょうどよかろ?」

近くの山は、祖父にとって庭のようなもの。



ならばと母はすぐに弁当を拵え、あっという間に支度を整えた。

わたしと妹は揚々とおんぼろワゴン車に乗り込む。



祖父の車は、埃っぽい土のにおいだ。

くわえて、勢いつけて座ったその座席の冷たくて硬いこと!

わたしは「ひえっ」と腰を浮かし、そろそろとおとなしく座り直した。





ものの15分ほどで、なだらかな坂を右に左にカーブしながら少しずつ山に入っていく。



ぐるぐるとハンドルを回し窓を全開にした。



ぶわと流れ込んできた風は思った以上に暖かく、微かな甘いにおいをふくんでいる。

顔を半分出して見上げると、木々の若葉がひかりを透かして揺れていた。



「前ば見んね」

車を端に停車させ、祖父が言う。



「うわっ」

思わず声をあげた。




視界の先に広がったのは一面紫色の花畑だった。

その景色は果てなく、先の先の先まで続いているように見える。



「レンゲやねぇ」

母が言う。

「降りたい!」

「ここらで弁当にしよか」

と祖父が応え、皆で荷物を持って車を降りた。



わくわくとレンゲ畑の方に向かって歩く。

花畑でピクニックなんて、漫画の世界のようだ。

じいちゃん、さすがだよ。



高鳴る胸は、しかし徐々にトーンダウンしていく。

近づくほど、紫一色だと思った花畑に緑の葉が混じってくるのだ。

足元で見ればもはや葉の方が優勢となってしまった。



「じいちゃん・・」

「カッカッカ」

笑いごとじゃないよ。

「レンゲ畑は遠くから見るのが一番きれいか」

そう言って祖父はまた笑った。





静かで麗らかな日だった。

鳥の声があちこちから響きあい、

風が草木を撫でる音が音としてちゃんと聴こえる。



すると母がレンゲの花々の上に躊躇なくゴザを広げた。

あ、と止める間もなかった。

「よかよか。この花は肥料やけん」

祖父がそう言って、ゴザの上にどっかと座る。



肥料?と、どこか引っかかりながらも

子供のわたしは、早くも近くで見るレンゲに夢中だ。




なんと愛らしい花なのか。

遠くで密集して見えた紫色とはまた違い、

近くで見ると濃い赤紫に白が差し

花色の機微が分かる。



さらにその花弁もまるでちいさな王冠のようで、すっくと立ち揺れる姿がなんともいじらしい。



可愛いなぁ。

可愛いなぁ。

と、つぶやきながら手いっぱいにその花を摘んだ。



「かしてごらん」

母が、摘んだレンゲを使ってくるりくるりと器用に編んでいく。

長い茎に巻きつけながらくるり、くるり。

最後に輪っかに仕上げるとそれは本当の王冠になった。



花かんむりに腕輪。

ひとつの花でちいさな指輪もできあがった。



いくつ作ってもまだまだ花は尽きない。

指に茎の色が染みついて草の匂いがした。



ひとしきり楽しむと、今度はゴザの上で腹ばいになり、顔を近づけてレンゲを眺めた。

目を細めると花と葉の輪郭がぼやけて大海原に漂っている感覚に陥る。

背中がぽかぽかと暖かく、そのまま眠ってしまいそうになった。





実は、その時のわたしを写した一枚がある。

母がインスタントカメラで撮ったのだろう。

のちに実家のアルバムの中に見つけ、

その日の景色がよけい印象的に定着したのかもしれない。



そして帰りの車中。

レンゲの花たちは田んぼの肥料にするために最後は土に混ぜ込むのだ、と祖父が教えてくれた。

「だから踏んでも摘んでも構わん」のだと。



花たちの最期を想っていっちょうまえに胸がぎゅっとなる。

頭の上でしなしなになっていく花かんむり。

腕輪も指輪も、ビニール袋に入っている花たちもすでにしんなりとしている。



すわり心地の悪い座席で、わたしはただ、もぞもぞとお尻を動かして顔を外に向けた。

青く暮れていく山に、ゴゴゴゴとワゴン車のたてる音がやけに響いている。



すこし、センチメンタルなかえり道だった。





あのレンゲ畑にはそれから一度も行っていない。

祖父の気まぐれは一度きりだったのだろう。



けれどそれ以来、田んぼの近くでレンゲ草を見つければ、しゃがんで夢中になって摘んだものだ。

花かんむりを誰よりも上手に作れることも幼いわたしの自慢となった。



そして十数年後。

わたしは東京の大学に進学し、そこを祖父が上京のついでに訪ねてきてくれたことがある。

大学三年の、桜が風に舞い散る春の日だった。






桜を背に坂の上で待つ祖父に、下から自転車を押しながら大きく手を振る。

「じいちゃん!」

祖父も気づいて満面の笑顔で手を振り返してくれた。



たちまち、レンゲ畑の記憶に包まれる。

上京して何度あの日を想ったことだろう。



甘い風、鳥の声、草木の色、レンゲ草。

あの場所を想えば、不思議とふかく息ができた。



なんの益もない幼い頃の春。

故郷を離れた途端、寄る辺となった。





じいちゃん、こっちではレンゲ畑は見れんよ。



祖父は、相変わらずの声で「カッカッカ」と笑う。



わたしはめいっぱいの笑顔をちゃんと作れただろうか。

作れたところで祖父には見抜かれていたかもしれない。



故郷が恋しくて、東京の春が苦手で、うらはらな笑顔だけは巧くなっていること。









               text by haru    photo by sakura




































































































































こはる日和にとける

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ

0コメント

  • 1000 / 1000