#24 青春そのもの



二月のその日

あたりを靄と煙らすこまかな雨が

しつこく降り続いていて

わたしは朝からずっと

うねる前髪をもてあましていた



「とにかく坂の下におらすけん、早く行って!」



親友からの電話は

最後にそれだけ言い置いて

ガチャリ!と切れ



つーつーつー

と耳元で機械音が鳴っている



坂の下って…



わたしの家は

そもそも

三方向に坂をもつ



どの坂よ



呟きながら

けれど

はやる鼓動が「行け」と急かすのを

聞かぬふりなどできなかった



「ちょっと行ってくる!」



母はなんと思っただろう



帰宅してすぐ

いつもの友人との長電話で台所を占領し

ようやく終わったかと思えば

今度は

制服のまま飛び出していった娘のことを



カレンダーを見て

苦笑い

してくれただろうか



結局

三つ目の坂の下で

ようやく彼を見つけた



二つ目から移動しながら

次だ、と

そこにいるはずだ、と

心だけが先を行く



反して

体がどうにも前に進まない



まるで両足は

熱いドロドロの液体でも

充填されたかのように

操縦不能となってしまう



傾けた傘をすこしだけ上げ

僅かな視界で

その場所を見る



いた

ほんとに、いる



靄のなかで

傘もささずに佇む

黒い学ランの人影がある



その立ち姿は

たとえ

遠くからでも

靄でかすんでいようとも

わたしには

見間違えようがない



毛穴で感じるその気配が

彼だ、と訴えてくるのだから



わたしは

意を決し

前へと、足を踏み出した





彼とは中学で出会った



二つの小学校が中学で一緒になる

そのもう一つの小学校の子だった



いわゆるモテるタイプの男子で

勉強ができて

スポーツ万能

背も高くて格好良かった



席が斜めで

最初の班が同じになり

すぐに打ち解け気軽に話すようになる



字がきれいで

数学を教えるのが上手

球技もリレーも水泳も

なんでもできるのに

それを鼻にかける感じのない

フラットな人だった



それがだんだんと

班内での口数が減り

目を合わせてくれなくなり

すると

同じくしてわたしも

彼の目を見れなくなっていった



ところが

班が別々になると

今度は

教室の端と端で

ふしぎと目が合うようになり

そのたびに心臓が跳ね

耳のうしろが熱くなり

操縦不能の反応が

体のあちこちに現れる



目が合い

目を逸らし

また、目が合う



そのひとつひとつを

思い返す夜

心は隅々まで

とろりと満たされていった



クラスは違えど三年では

生徒会で行動を共にすることも多く

互いの気持ちを

其々の友人がもてはやし

周囲は

「付き合っちゃえば?」

みたいな雰囲気になったけれど



目が合うだけで充分だ、と

気持ちは通じ合っているんだ、と

わたしは

その居心地の良さに

すっかり胡坐をかいていた



そんなある日の放課後



「1組で今、告白されてるってよ!」



親友が血相を変えて走ってきた



もともとがモテる人なのだ



小学校から彼を想っている子は何人もいたし

さらに背も伸び

声は低くなり

学校でも益々目立っていく存在の彼を

わたしだけが、なんて

都合のいいこと

あるはずもないのに



胡坐をかいていたわたしは

そんな容易なことにさえ思い至らなかった



別の誰かが彼に告白する

という事態はまさに

のどかな晴天に不意に轟いた霹靂だった



ぼおっと思考が止まったわたしを

親友が手を引き告白現場に連れていく



そこはすでに野次馬でいっぱいで

人数以上の熱気に

一瞬で気圧されてしまった



しばらくして

ガラリ、とドアが開き

真っ先に出てきたのは

告白した女の子の友人だった



「オッケーもらいましたー!!」



万歳せんばかりの勢いで

彼女が叫び

続いて

恥ずかしそうに出てきた当人の背中を

大きく叩いて喜んでいる



現場は歓喜の声で盛り上がり

わたしは彼が出てくるのを待たず

走ってその場から、逃げた



翌朝

納得のいかないわたしの親友が

彼を問い詰め

「隣についてきた子がしつこかった」

と、いう言質を取ったが

じゃあ別れる?と訊くと

それにははっきりと返事をしないらしく

親友は

お手上げです

な、顔をし

始業のベルと共に

自分の教室へ戻っていった



廊下に残されたわたしは

二本の足を辛うじて保ち

自分の心に触れぬよう

薄く息をし

視線を遠くに、遠くにと

追いやる



ただどんなに

知らぬふりをしてみても

手元にある感情が

ズタズタであることは

頭のうしろで

気づいていたけれど





「迷惑、よね」



坂の下はすぐ交差点となっていて

車の往来もある



目の前の歩行者用信号が

何度も赤と青を繰り返していて

すでに10分以上

わたしたちは

ただ向き合っているだけ

の、無為な時間を過ごしていた



たぶん

わたしの親友に言われて

ここへ来たんだろうな

優しいから断れなくて

困ったんだろうな



彼の

すこし寸足らずな

ズボンの裾を見ながら

そんなことを思う



つと

灰色に暮れそうな気配に気づき

一気に焦りはじめる



「いや・・」



ぼそ、と

彼が応える



耳慣れた声だ

口をすぼめるようにして話す

くぐもったハスキーな声



「雨、」

「ああ、」

「時間が、」

「うん、」



細切れの言葉しか

息がもたない



「チョコ、」

「あ、」

「彼女から、?」

「ああ・・うん」

「そっ・・か」



ほんとはなんでここに来たと?

言いたいことはないと?

本当にあの子のことが好きと?



訊きたいことは

なにひとつ訊けず



「わたしが、告白、したら、困る、よ、ね」



親友の気持ちに報いなきゃ、と

変な思考回路に陥り

雨に追いたてられ

日暮れに焦った挙句

口をついて出た言葉だった



「えっ、」



と驚いた彼の

けれど

その

次の言葉を聞く強さは

もはや、なく



「なんか、ごめんね

だいぶ濡れたよね

風邪ひいたらいけんね

暗くなるし

ごめん

もう帰ろう

じゃあね!」



今更気持ちを伝えたとて

もう遅いんだ、という現実が

だしぬけに

やけにクリアに

突きつけられ



恥ずかしさでいたたまれず

歯痒さと後悔も

続けて押し寄せてきて



それらを握り潰し

ぐちゃぐちゃになった気持ちを

せめてそうと悟られぬよう

取り繕って

放り投げた



さらに

あんなに重たかった足は

軽々と回れ右をし

来た道を逃げるように駆け出した



ぶれる傘のなかで

こまかな雨が舞う



うねる前髪が

おでこに張りついて

鬱陶しかった



もう、やだ

もう、ぜんぶ、やだ



と、

ここで

わたしの中学時代の記憶は

強制終了となる



その後の日々も含め

三年分記した日記は

すべて捨ててしまった



にも、かかわらず



いまでも折に触れ

ありありと

そして

仄かな傷みを伴って

彼との日々は

明らかに蘇る



目を逸らし伏せる睫毛も



泣いてるわたしに気づいて

駆け戻ってくれた日、

なんかもあって

その時の息をきらした肩も



すれ違いざまの咳払いも

くぐもった声も



そして気づくのだ



ああ

彼が

彼のそのすべてが



わたしの愛すべき

青春そのものなのだ、と









text by haru  photo by sakura




























































こはる日和にとける

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ

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