#23 スケートへGO!


氷の上は透明なにおいがする。



それはたとえば

まあたらしい教科書や、消しゴムみたいに

まっさらで透きとおっていて

わたしはつい思いきり吸いこみたくなるのだけれど



鼻がぴりりとひりついてしまうのでやめておく。



”4:44”



大きなデジタル時計が不吉なその数字を表示する。



「パトロール!パトローール!」

わたしは武さんに声を掛け、

それまで夢中になっていた"宝探し"を一旦中断し

ふたり揃ってリンク内をくまなく周回し始めた。



屋根があるだけでほぼ屋外のようなスケート場。



夕方の冴えた空気を切るようにして滑る。

すーいとひと足、すーいとひと足。

単調な繰り返しなのに、ただただ楽しい。

いつまでも滑っていられるきぶんだ。



わたしたちは時計が”4:45”になるまでの一分間。

まわりの客たちが転んだり衝突したりしないか

目を光らせながら念入りにパトロールし

今日も無事任務を完了することができた。



ここは我が炭鉱町が誇る遊園地。

その敷地内のイベント広場に冬季限定で開設される

巨大なスケート場である。



わたしと武さんは小学四年の冬から毎年

『すいすいカード』というフリーパスをお年玉で購入し

塾のない放課後は毎日のようにふたりで通い詰めていた。



家の目の前に広がる遊園地ではあるが

その敷地は広く、スケート場に続く裏のゲートまでは

小高い丘をひとつ越えなければならない。



そのため「5時半まで」と決められた時間を無駄にせぬよう

学校から帰ると急いで準備し、飛び出すように家を出た。



到着すれば遊園地の入口も、スケート場の入口も

ペンギン柄の『すいすいカード』で通してもらえて

さらにスケート靴もそのカードで借りられる。



めでたく4時前にはリンクの上というすんぽうだ。





そもそもわたしにスケートを教えてくれたのは父だった。



父も学生時代の冬の楽しみはスケートだったらしい。

九州は雪が積もるほどは降らないので

スキーや雪遊びに馴染みのない地域ではあるけれど

思えばなぜかスケートには親子で縁があったことになる。



遊園地に初めてスケートリンクが張られたのが

たしか小学3年の冬だったか。



最初は家族で出掛け、その時初めてスケート靴を履かせてもらった。

父が慣れた手つきで靴紐をぎゅっぎゅと締めていく所作が格好良く

重たいスケート靴に足が固定された感触が新鮮だった。



鋭い刃一本で立てるとはとても思えなかったけれど

「このゴムの床の上やったら歩けるけん立ってみんね」

と父に支えられ、恐る恐る立ち上がると

覚束ないながらも歩けることが分かり

いつもよりぐんと高くなった目線で見える世界に

わたしはふわふわと心が踊った。



ただ、氷の上となるとそう簡単にはいかなかった。



手すりを持っていても足だけひょいと掬われる。

父が前から両手を握ってくれると言っても

腰が引けて立てる気さえしない。



「む・りーーー!!」



と、幾度叫んだか分からない。



周りにはわたしのような初心者もいれば

父のようにすいすいと滑れる人もいる。



わたしもあんなふうに滑れるようになるのだろうか。

尻餅をつくのにも飽きてへとへとになった頃

父が鉄製の補助椅子を調達してきた。



「これに座ってみんね」



車椅子みたいに父に押してもらうと

それは思いのほか、いや思った以上に

最高に面白かった。



椅子に座りながらスケート靴を氷に当てれば

自分で滑っている感覚を味わえたし

背中側から父がバックで引っ張ってくれると

後ろ向きに景色が勢いよく遠ざかって

ジェットコースターに乗っているようだった。



そのうちに椅子を押しながらであれば

わたしでも滑れることが分かり

面白さは一気に加速度を増して

わたしはすっかりスケートに夢中になった。



その後父にねだって何度か通い

椅子を手放し、ひとりで滑れるようになった頃

「わたし、スケート滑れるようになったとよ」

と自慢半分で仲良しの武さんを誘ってみた。



すると武さんは持ち前の運動神経で

難なくその日のうちにひとりで滑れるようになり

わたしは「ひょえ~」と呆気にとられたのだった。






さて、魔の4:44を今日も無事過ごし果せたわたしたち。



4は”死”を連想させる数字だと安易に思い込んでいる。

その為、リンク上での事故が起こりやすいとふんで

パトロールすることに決めたのは最近のこと。



そもそも常時アルバイトのお兄さんがリンク内には居て

プールでいうところの監視員のような役割を果たしているのだが

年上の彼らに憧れて始めたという節もある。



なんせ毎日のように通い詰めているので

そのお兄さん達とも顔見知りとなり

もはやカードを見せずとも

「こんにちは~」と言えば

「はいよ~」とカウンターから

ぴったりサイズの靴を出してもらえる仲なのだ。



揃いで明るいグレーに赤のラインが入ったウィンドブレーカーを着こなし

手を後ろ手に組んで軽やかな滑りを見せるお兄さん達。



かっこいい・・・。



単純な小学生であった。



「ちーちゃん、なんか食べる?」

リンクを降りて武さんが訊く。



「食べよう食べよう!」

おやつも食べずに家を出ているので

お腹ペコペコなのだ。



ビニールで囲ってストーブを焚いている一角に

軽食を販売するカウンターがある。



わたしと武さんのお気に入りはそこのアメリカンドッグで

スケートの合間によく食べていた。



ふっくらと揚がった甘い生地にくるまれた魚肉ソーセージ。

ケチャップで食べるそれの美味しいこと!

最後のカリッと香ばしい付け根まできれいに食べあげた。



「もいっかい、宝探ししよう!」



わたし達は急いでリンクに戻る。



ちなみに当時はまっていた”宝探し”とは

ヘアゴムやシールなど

小さくて可愛いものをひとつ、

リンクの端のどこかに隠し

相手が隠した物をどちらが先に探し当てられるかという遊び。



端っこはポールが何本も複雑に組まれていて

小さなものを隠すには程良い場所なのだ。



「武さん、隠した~?」

「隠したよ~」



リンクの中央に集まって「せーのっ!」でスタートだ。



と、その時。





すーーーーっ。



わたし達の脇を真っ白い天使が横切った。



「ふ、わあ・・」



一瞬で目を奪われたその天使は同い年くらいの女の子だった。



真っ白なコート(わたしの赤いもったりとしたジャンパーとは全然違う)に

ふわんと白い手袋(これもわたしのピンクのキャラクターものとは雲泥)、

さらとなびく髪の毛は肩よりも長く、

何といっても目を惹いたのは、その白いスケート靴だ。



先がつんと細い大人のブーツみたいで

借り物でごつごつの黒色のこれとは全くの別物。



「かわいいね・・」

「うん、かわいい・・」

「誰だろ?知ってる?」

「知らない。見たことないね」

「だよね」

炭鉱町の子でないことは明らかだった。



すると、その子がおもむろに腕をぎゅっと胸の前で合わせ

くるんとスピンをした。



「わあ!すごい!」



まだ練習中なのかぎこちなさはあったけれど

繰り返し同じ動きを確認するその姿ごと

氷の上の天使としか喩えようがなかった。



そして彼女が一旦勢いをつけて滑りだすと

そのスピードに反して音はなめらかで柔らかく

近くを過ぎるときだけ

—ザッ、ザッ

と、氷を掻く音が響く。



わたしと武さんはリンクの真ん中で突っ立ったまま

宝を探すことも忘れて暫く見惚れてしまった。



大音量で流れるポップな音楽の中で

彼女のまわりだけはクラシック音楽が流れているような。

そんな優雅な時間だった。



以来わたし達は「今日は天使来るかな」と

スケート場へ行くたびに楽しみにしたのだけれど

残念ながら出会えたのはその一度きりで

けれどたった一度の出会いは子供心に鮮烈に残ったのだった。





さて、とっぷりと日は暮れて5:30である。



スケート靴を脱ぎ、ぺしゃんと潰れた感覚で地面に足をつく。

足は軽いはずなのに地べたが硬く感じて歩きにくく

この瞬間はいつもトランポリンから降りたときみたいな

へんてこりんな気持ちになる。



遊園地は5:00には閉園しており

スケート場から園の出口までの道のりは、しんと暗い。



ゲートの向かいにいつも停まっている焼き芋屋で

焼き芋を一本買い、はんぶんこにして頬張った。



「あっつ!」

「うっま!」



手の中で湯気をあげる焼き芋が

「今日はほくほくのまっ黄色でラッキー」と

わたしは内心思っている。

(武さんは「ねっとりタイプ」が好みなのだ)



アメリカンドッグに焼き芋。

かっこいいお兄さん達に・・・





「天使!」

「ん?」

「あの子天使みたいやったね」

「そうやね」

「天使、明日も来るかなあ?」

「どうやろ?」

「来たらあのくるって回るの教えてもらおうよ」

「いいねえ」



わたし達の冬は始まったばかりで

すいすいカードの期限はまだ一か月も残っている。









text by haru  photo by sakura








































こはる日和にとける

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ

4コメント

  • 1000 / 1000

  • @riko..ありゃ笑 どちらの気持ちもうれしいですっ♡♡ ありがとうございます(〃▽〃)
  • riko..

    2024.02.06 02:41

    こんにちは~😄 『こはる日和にとける』は 皆さんに知って頂きたいです、、 けど、、 ちぃちゃんは、なるべく秘密に したいような… 、、困ったフォロワーです🤭 (〃∇〃) エヘ♡
  • @riko..rikoさんだあ♪こちらにコメントをありがとうございます!うれしいです~ そんなふうに文章から感じてくださり、わたしの幼少期の記憶を追体験してくださって…もう、言葉にできないくらいうれしいです♡ 一緒にスケート場ですーいすーいと滑れたかな♪ どっぷりちーちゃんになってもらえてうれしい♡ 映像になってくれたらわたしも観てみたい(´艸`*) そしてそして「あ~楽しかった」って読後感、こはるにとってはサイコーの誉め言葉です!!ほんとうにありがとうございました(◍>◡<◍)