#11 20時の花火


洗いたてぱりりと乾いたタオルケットは昼のにおいがする。



わたしはそれを体にぐるり巻きつけ、布団の上を勢いよく転がりまわっていた。

あっちから転がってくる妹とわざとぶつかっては腹の底からおかしみがこみあげて、互いに笑いが止まらなくなる。



家の中で唯一、クーラーのある茶の間である。

それは、ゴオーッと地響くような大きめの音をたて八畳ほどの部屋を冷やす役目を懸命に果たしていた。



母の号令で畳をすっきりと拭きあげた後テーブルを端に寄せ、茶の間は家族分敷きつめられた布団でいっぱいとなっている。

夏休み限定の特別な夜だ。



土曜の夜。

テレビではドリフの’全員集合’が始まった。



わたしたちは転がるのを一旦止め、寝そべったまま頬杖をつきテレビの前を陣取った。



普段だと

「もっと離れなさい」

と母の声がすかさず入る。

「んー」

形ばかりの返事を返し、本格的に怒られるまでそのままの体勢でやり過ごす。



「はよ離れんね!目が悪くなるよ!」

「年々視力が下がりよるでしょうが」

「テレビの見過ぎたい!」

この辺りからエスカレートしてきて、別のことまで掘り起こされかねないので

「はーい!はい!はい!」

と、そそと後ろへ下がることになる。

これが常、定番のやりとりだった。



けれど夏休みの20時。

茶の間には寝転がってテレビを観る姉妹を叱る声はない。



その時間母はいつも一人、狭い玄関にいた。




「うるさいね」

妹に耳打ちする。

「テレビ、大きくして」

「おねいちゃん、してよ」

「あんたの方が近いやろ」

「えー」



妹はよっこらと起き上がり、テレビの音量のつまみを上げる。



ド!!ドドーーーンッ!!!!



負けじと、外で花火が上がった。



「た~まや~!」

母である。



「か~ぎや~!」

これも、母。



花火よりうるさか。

心うちで、悪態を吐く。




わが炭鉱町には、嘘みたいに大きな遊園地があった。

炭鉱と同じ系列の、都会の大きな会社が作ったという。

長屋が連なるだけの色のない町には不釣り合いの、けれど町の人々の誇りでもある場所。



山一個分豪快に切り拓いた土地に、ジェットコースターを含むあらゆるマシーンが点在し、シンボルとなる観覧車は嘘かほんとか当時日本一の大きさと言われていた。

(そのうち西日本一、九州一、とランクは下がっていく)



ある時にはアフリカゾウが来園し、ちいさなわたしは母とその背中に乗って揺られたこともある。

冬には巨大なスケートリンクが張られ、夏はプールが開き、広大な芝生広場は年中開放されて家族連れで賑わっていた。



田舎の炭鉱町といえど、とかく景気がいい時代であった。



その象徴のひとつとして、花火がある。



ある年から夏休みになると、遊園地で毎晩20時に花火が打ち上げられるようになった。

それも数発のこじんまりとしたものではない。



20分ほど続く豪華絢爛、見事なる花火である。



坂のてっぺんに位置していた我が家。

遮るものなく、文字通り目の前に花火が上がってくる。



観覧車の真横に巨大な花が眩しく咲き散る様は目を瞠るほどに美しく、腹を打つ音が体中に夏を報せているようでワクワクと心躍る気分になった。





毎年、最初の数日は近所のおばちゃんたちもやって来て、賑やかに鑑賞した。

少し離れたところに住む祖父や親戚も集まった。

学校の友人たちも「ここが特等席だ」と玄関前の階段にずらりと座ったものだ。



しかし、そこから毎日である。

どんなに美しく、見応えのあるものも、毎日となればどうしたってありがたみが薄れてくるというものだ。



皆、同じ町内もしくは市内に住んでいる。



空に打ち上げられる花火なのだ。

高層の建物などひとつもない平たい町ではどこからでも見ることができる。

自然わざわざ我が家に集うこともなくなる。



まだまだ長い夏休み。

各々の家で果たして毎日20時に律儀に空を見上げていた人がどのくらいいただろうか、と穿ってみる。



特等席を有する家に住むわたしでさえ、

数日経てば花火はテレビの音をかき消すもの、と邪険に扱うまでになっていたのだから。





ただ、母だけは違った。



「花火上がるよー」

20時すこし前から声がかかる。



最初のうちは、まだそれに応じて玄関に行っていた。



「た~まや~。か~ぎや~」

も、母の「せーの」に合わせて一緒に声をあげた。



けれどそのうちに

「えー、もういいよぉ」

「テレビ見てるから!」

「明日は見るから!」

と、冷たく誘いを断るようになっていった。



母はそのたびに

「いつまでやるか分からんとに」

「見とけばよかったっていつか思うよ」

「はぁ~きれいかぁ」

「きれいかねぇ」



じょじょに誘い文句がトーンダウンしていき、ある時から諦めたように20時になってもぱたりと声を掛けてこなくなった。



断るのが面倒なわたしはこれ幸いと知らんぷりを決め込み、布団の上で涼みつつごろりとテレビの時間を貪った。



母は毎夜一人、玄関にいる。

「た~まや~」と、声をあげて。



よっぽど花火が好きなんだろう。

単純にそう思っていた。



どうせ明日もあさっても、なんなら来年もまたやるのだ。

見たければいつでも見れる。



そう、たかをくくっていた。




わたしは今、その頃の母の歳をゆうに超えている。



春になれば桜を見に出掛けたいと思い。

秋になれば紅葉、冬は雪景色を見たいと思う。



そして、夏には花火を。



ああ。

あんな贅沢な日々はなかったのだ。



毎夜打ち上がる花火。

しかも、それを目の前で見られるという贅沢。



布団でごろりとドリフを観て笑っている場合ではなかったのに。

あの子の尻をぺしぺし叩いてやりたい。



母が何を想いながら一人で花火を見ていたか。

今わたし自身が母となり馳せる想いがある。



桜も紅葉も雪も、花火も。

つまるところ、子供たちと、見たいのだ。



いつまでも続くと思っていた炭鉱町での暮らしは、もう遠い昔のこと。

毎年やると思っていた花火も、それから何年かのちにいつの間にかやらなくなった。



いつでも、いつまでも、なんて約束はこの世界にひとつもないことに当時はかけらも思い至らなかった。



今、わたしが

「桜見に行こうよ」

と、誘っても

「えー」

と、つれない返事をする子供たち。



これ以上しつこく誘って嫌々ついて来られてもなぁ、としぶしぶ諦める母としての自分。



どちらの気持ちもはっきりとした手触りで分かる。



だから、いつか子供たちが家を出た時

にがく思い出すんじゃないかと今から下手な心配までしてしまう。



「あの時ママと桜見に行ってあげればよかったな」

「ママ、毎年のように桜桜って騒いでたな」

とか、なんとか。



余計なお世話だろうと分かっていながら、

先回りして気を揉む母としての自分が滑稽でしかたない。



いっぽうで。

子供のわたしは未だ、ぎゅっと悔いている。



あの夏。

毎夜20時に母と狭い玄関で一緒に花火を見ておくんだった、と。



歳を経るほどに、そんな想いに駆られる。







    text by haru    photo by sakura

















































































































こはる日和にとける

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ

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