#15 マリーゴールドの花籠



隙間だらけの小屋の波打つトタン戸を、

くっと持ち上げながらそおっと開ける。



「あ」

と、試しに声をあげ、中の様子を息を止めて窺った。



外の光がまだらに射し込み、決して真っ暗というわけではない。

それでもわたしにはそこが異世界への入口のように不気味に感じる。

加えて、いつ現れるともしれないアイツの存在も。



目的のモノは、奥の棚に置かれている。

いっそう慎重に、足を踏み入れなければならない。

一歩、二歩・・・



と、ドサッガサッシュイーン!と

目の端でアイツが勢いよく飛び出してきた。



ひいっ!!!

と、声にならない悲鳴をあげる。



ぞぞぞと鳥肌がたち、いっきに汗が噴き出した。



わたしは「だからイヤなんだよお」とへなへなとしゃがみ込んで独り言ち、

いや、敵は退散したんだ、と思い直して立ち上がった。



目的のモノとは、ゴザのことである。

これがなければ始まらないので、どうしても必要なのだけれど

取り出すまでのこの作業で毎回ドッと疲れてしまう。



ゴザを出してしまえば、

あとは扉横に置かれたままごとセットを引きずるようにして出せば準備は完了。



ほどよく、「ちーちゃん!」となおこちゃんが小屋の脇から現れた。



「なおこちゃん!あのネコ、いた?」

「うん、この後ろにいたいた」

「げー」

変な顔をすると、なおこちゃんはけらけらと笑ってくれた。



気を取り直してわたしたちはゴザを担ぎ、ままごとセットを抱えて勇んで出掛けた。






坂のてっぺんに位置するわが家。

小屋裏の車庫の、さらにその裏が、ほんとうの意味で坂のてっぺんとなる。



その道は平らに舗装されたアスファルトとなっていて

こないだここでままごとをやって以来お気に入りの場所となっている。



アスファルトは、温かだ。

秋晴れの日差しをたっぷりとたくわえていて

ゴザから伝わる温度がじんわりときもちがいい。



ままごとセットを一式並べ終えると、

わたしは「ちょっと待っててね」とあるものを取りに家に戻った。






それは昨日の学校帰りのこと。

お向かいのおばあちゃんが花壇の世話をしているところにちょうど出くわした。



お向かいさんは、お母さんも働いていて昼間はおばあちゃんしか家にいない。

そしてそのおばあちゃんはお花屋さんみたいにきれいな花を咲かせる名人だった。



雑草ひとつない整然と美しく広い花壇。

四季折々の花がピンと凛々しく咲いている。



さらに圧巻だったのはそのメインの花壇とは別の、道端沿いのマリーゴールド。



おばあちゃんちの側溝に沿うように連なって咲いていて

まばゆい黄金色の花の絨毯は、レンゲ草やコスモスとは違い、

近づいて見ても葉や茎を覆い隠すほどの堂々たる花の群れだった。



母もわたしもこの花が大好きで、

鼻を近づけてはくんくんと匂いをかいだり。

(甘くてすこしつんとした菊の香り)

ぽんぽんと触って、しゃら、しゃらと花弁が鳴る音を聞いたりした。



「おばあちゃん!」

「あら。おかえり」

「ただいま」



花のお世話をしているおばあちゃんの横にわたしもしゃがむ。



「なんしよると?」

「花摘みよ」

「家に飾ると?」

「いやあ飾らん飾らん。きりがなかけんね」

「じゃあ、なに?」

「次の花んために摘むだけやけん、これはもう捨てるとよ」



なんと!

わたしは驚いて尻もちをついた。



「まだこげんきれいかとに?」

「そうよお。きれいに見えるけど、もう終わっとる花を摘みよるとよ」



わたしにはおばあちゃんが摘んだ花もまだ飾って楽しめるほどに可愛く見える。

バケツにポイポイ投げ入れられる終わった花たち。

顔を近づけるといいにおいでうっとりする。



ハッ!!

いいこと思いついちゃった!



「おばあちゃん!」

わたしはおばあちゃんに自分の思いつきを勢い訴えたのである。




「と、いう訳で今日はこの花籠に花摘みをしまーす」

わたしは家から持ち出してきた花籠をなおこちゃんにジャジャーンと披露してみせた。



「花摘み?」

「そう。お向かいのおばあちゃんにはきょかをもらってます!」

「え?どの花?」

「あっちの黄色い花だよ」

「あれ、摘んでいいと?」

「うん!昨日おばあちゃんに摘んでいい花を教えてもらった」

「いいね!やろうやろう」



わたし達はお母さん役とお姉ちゃん役になりきったまま花摘みにくりだす。



「ほんと、今日はいいお天気ね」

「そうだね、お母さん」

「あら、あそこにきれいな花が咲いてる!」

「ほんとだ!」

「花摘みでもしましょうか」

「やったー」



竹で編まれた花籠は持ち手が着いていて

そこに腕を通すと大人みたいでお母さん役にはぴったりの小道具となった。



もとは茶の間ではっきりとした役割を与えられず、雑然とものを入れられていただけのただのカゴである。



昨日おばあちゃんと話していて、

茶の間のあれを花籠にしてあげよう!と思いついた自分を褒めてあげたい。



花を摘み入れると、それはもはや花籠以外のなにものでもなく見えた。

悪いけど、おばあちゃんの缶かんみたいなバケツとは比べものにならないと思う。



「ちーちゃん」

「お母さん、ね」

「あ、お母さん」

「なあに?」

「どれが摘んでいい花なの?」

「えっとね。すこし花びらがちりちりってなってるのはもういいんだって」



実際おばあちゃんの説明はあまり要領を得ず、わたしが覚えられたのは

「ちりちりした花はもうよか」

というざっくりとしたものと。



「でも、分からんかったら好きなだけ摘んでよかよって」

「えー、いいと?」

「うん。おばあちゃんが」



そもそもがフリルの花弁を持つ花である。

ちりちりと縮んだ花と、そうでない花の見分け方は子供には非常に難しく

ならばとおばあちゃんは「好きなだけ」摘んでいいと言ってくれた。



「もう次のお花の準備なんだって」

「へぇ」




わたしたちは花籠いっぱいに黄金色の花を摘み重ねていった。

それでもまだおばあちゃんの花たちは隙間なく泰然と咲き誇っている。



「このくらいでいっか」

「そうだね」

「はい!じゃあお姉ちゃん、これ持ってみて」



わたしはなおこちゃんに花籠を渡し、少し離れる。



思った通り。

「すっごく似合う!かわいい!」



空色のワンピースを着たなおこちゃんが持つと花がいっそう輝いて、

まるでステージに立つアイドルのようだ。



「なおこちゃん、なんか歌ってー」

「えーいやだー」

「じゃ、なんかポーズとってよー」

「いやだよ。もう行こうよ」

「えーかわいいとにー」

「いいから。もう戻ってままごと始めようよ」

「えー」



わたしたちは他愛もない押し問答を繰り返しながら坂のてっぺんに向かう。



途中、カラスウリを調達することも忘れてはいけない。

蔓のからまる厄介な場所だけれど、背の高いなおこちゃんがいれば余裕のよっちゃんだ。



ついでに木の実とやわらかな葉っぱと小石も拾う。



ようやく戻った頃には服の中が汗でもわと蒸されていた。




早速花籠を飾り、格段華やかな雰囲気となったゴザをふたり並んでにんまりと愛でる。



が、あまりうかうかしている時間はない。



その後も、ご飯代わりのサラサラ泥を取りに行ったり。

葉っぱのお味噌汁を作ったり。

カラスウリを割って、中のねばねばを納豆にしたり。

赤土のお団子を作ったり。



合間で、なおこちゃんのフローラとわたしのバービーのベッドも拵えなければならない。

(この二人も家族の一員なのだ)



とにかくままごとはやることが多くて、時間があっという間に過ぎていく。



特に今日は目の端で花籠が存在感を放っていて、まるでサイダーの泡のように次々とウキウキが弾けていつもよりいっそう夢中になってしまった。



そのうちに温かかったゴザがひんやりと冷えてきたことに気づく。

青一色の空に、雲がかかり影を作り始めた。





「あーあ。もう帰らなん」

なおこちゃんのこの言葉が終わりの合図だ。



ここから日暮れまで太陽はすべり落ちるように早足になる。



わたしたちは急いで片づけを済ませると坂の上で「またねー」と別れた。

夕焼けに包まれて、駆け足で坂を下るなおこちゃんがみるみる小さくなっていく。



おもしろかったー。



わたしはひとり、小屋を横切って家へと引き返した。



すぐに後ろで、ネコが小屋の下の隙間からひょろりと体をしならせて中に入っていく気配がする。

花籠をぎゅっと握り直し「ただいま!」と戸を開けた。



家の中は焦げた玉ねぎの匂いがした。




ちなみに、当時のわたしは黄金色のその花の名をまだ知らない。

おばあちゃんがなんと呼んでいたか、まったく覚えがないのだ。



その花が『マリーゴールド』という華やかな名であること知ったのは、

恥ずかしながらあれから何十年も経て大人になってからのこと。



「おばあちゃんの花だ」

とひそかに興奮し、花籠を腕に掛けたなおこちゃんを思い出した。



マリーゴールド。

まさにあの日のアイドルみたいななおこちゃんにぴったりの響きだと思う。



さらに実を言うと。

小屋や納戸や、大きな物入などを開ける時。

いまだにどうしてもおそるおそるな自分がいて笑ってしまう。



ここだけの話、ひょろりと体をしならせる子のせいということにしている。

あの子からしたら、とんだいい迷惑だろうけれど。







       text by haru     photo by sakura 





































































こはる日和にとける

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ

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