#21 氷菓さくり


重たげに落ちる夕日に雲がにじみ、遠くの空が赤々と熔けてゆく。



風呂からの帰り道、カナカナ蝉が鳴きしぐれていた。

わたしは母と妹とたばこ屋の店先でカップアイスを選んでいる。



「暑かですねー」



水色の小花柄、袖なしワンピース姿の店のおばちゃんが

つっかけを履いて奥から出てきた。

がたがたと引き戸が開くと、煮物の甘い匂いもついてきて

余所の家を覗き見たような気分になる。



慌てて、冷凍ボックスの中に目当てのアイスを見つけ

「あった!お母さん、4こあったよ!」

と指を差して母に教えた。



見つけたのはうす緑色の『SKY』という名のアイス。



普通のアイスクリームよりも軽い口当たりで、

けれどシャーベットよりは食べ応えがあり

鼻に抜ける香りは初体験の爽やかさだ。



甘いものを食べない父が喜んで食べるという点においても

バタークリームのチョコレートケーキと同じく家族で気に入っている。



「今日は帰ってから食べるけんね」



母が念を押すようにわたしに耳打ちしてきた。

こないだは我慢できずに三人揃って食べながら帰った経緯がある。



木べらのスプーンでシャクッと掬い

歩きながら甘いアイスを口へ運ぶ背徳感たるや。



ただ、風呂の荷物を抱えながら

加えてまだ小さな妹に気遣いながら

カップアイスをこぼさず食べきるのは至難の業で

正直なところわたしも母も一度で懲りていたのだ。



そんなことは構いなしの妹は

「食べるー!食べるー!」

と駄々を捏ねたが

「あっ!犬さんがいる!」

なぞと気を逸らし、

買ったアイスを風呂かごの隙間に隠して

溶けぬうちに、と帰りを急いだ。




家が近づくと開いた窓から野球中継の音が漏れ聞こえてくる。



「えーっ、今日は野球??」

三和土でサンダルを脱ぎながら母に訊く。

「そうのごたるね(そうみたいね)」

母もすこし、顔を歪めたように見える。



あーあ。

じゃあ今日のアニメは中止かあ。



諦めきれない気持ちで茶の間に入り、

寝そべって野球を観る父に

「SKY買ってきたよ」

と、ぼそと告げる。

聞こえたかどうか、父はテレビに釘付けだ。



ひとつ楽しみがなくなったので

晩御飯ができるまで父のそばでぼおっと野球を見ることにした。





子どもの頃、春から秋にかけて

父のいる夜は野球中継がテレビのほとんどだった。



ぼおっと見るとはなしに見る野球であったが

じつはそれがわたしの野球好きの始まりであり、

のちに大学で野球部のマネージャーを務める礎となる。



野球を観ている父はたいてい

「あーっ、そこは最後カーブやろ!」

「なんで走らんかねっ!」

「こんヘタクソ!」

とテレビに向かって怒鳴ったり。



そうかと思えば

「よおっしっ!よかよか、それでよか」

「うまいっ!」

「よっしゃ!ここぞ!ここやぞ!」

と褒めそやして、檄を飛ばす。



見るとはなし、ではあるが

聞こえてくる父の声は否応なく耳に入ってくる。



その声に強引に引っ張られるようにして

わたしはテレビ画面に映る野球をきちんと見るようになっていった。



そして父がテレビに向かって掛けるその言葉が

あながち間違いでもないことに気づき始める。



その確信を得るため

こっそり父を試してみたこともある。



「お父さん、次は何投げればいいと?」

「ここはもうストレートでよか」



するとギュインと真っ直ぐに投げられたボールは

バシッ、とキャッチャーミットに収まり

打者のバットは見事に空を切る。



「おおーー!」

感嘆の声を挙げると、父がまんざらでもない顔をする。



「監督の今のサインは何?」

「スクイズたい。ここは」



果たして打者は体を投げ出すようにしてボールにバットを当て、

飛び出していた三塁ランナーがヘッドスライディングでホームに還ってきた。



父と監督の采配が一致したことに感心しながら

わたしは野球の奥深さを知り、その面白さに夢中になっていくこととなる。





とまあ、それはさておき、茶の間である。



のちに野球愛を語ることになるとは微塵も思っていないわたしが

夕飯を終え、未だつまらなさそうな空気を全身から醸している。



依然、野球は我がモノ顔でテレビを占領していた。



にっくき野球め。



テーブルに顔を突っ伏してふてくされていると





突如、腹を打つような大きな音がして驚いた。



「花火始まったよー」



母が玄関から呼ぶ声がする。



夏になると毎夜打ちあがる近所の遊園地の花火だ。



毎年始めのうちは楽しみに見るけれど

夏休みも終盤のこの頃には正直面倒に思ってしまう恒例の花火。



野球つまらんけん、たまには花火見るか。



わたしは久しぶりに重い腰を上げた。



「ほおら、キレイかよ~」



母が狭い玄関で体を寄せて場所を空けてくれる。



「た~まや~。か~ぎや~」

とあげる母の声に応えるように花火も威勢を増してくる。



目の前でド、ドーンッ!、と開く花火は視界に溢れるほど大きく

次々と咲く色はにじみなく鮮やかだ。



空が眩しく照らされると、

闇の奥に浮かんでいる雲も見えた。



「キレイねぇ」



母が後ろからわたしの肩に手を置き、

すーいすーい、とさすってくれる。



花火が打ちあがる合間を埋めるように

野球の鳴り物の音も響くので

わたしは負けじと「た~まや~っ!」と叫んでみた。



それは意外にもせいせいして気持ちよく、

母と繰り返し声をあげながら可笑しくってしようがなく

ついには笑いが止まらなくなってしまった。



茶の間で父もテレビのボリュームをさらに上げてくる。



花火は、本番はこれからだとばかりに打ちあがり

わたしは母と笑いながら声をあげ続ける。





つと。



そうだ、アイスがあるやん。

花火終わったらアイス食べよう。



と、ひらめく。



さくり、と爽やかなうす緑色のカップがよぎり

火薬の香まじる夜風がおでこを柔く撫でた。



おでこの中はすでにアイスでいっぱいで

夏が終わろうとしていることに、

わたしはまだ気づいていない。








text by haru   photo by sakura































こはる日和にとける

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ

2コメント

  • 1000 / 1000

  • @スイスイさん、ありがとうございます! 昭和の夏の茶の間のあるあるですね(笑)同じような時代を過ごしていたのかしら? 花火の音、感じて下さりうれしいです!
  • スイ

    2023.08.28 06:46

    昭和の頃の夏の情景。分かりすぎるぐらいにharuさんご家族のやり取りが目に浮かんで一人「ふふふ」と口角を上げてます。お腹に響く花火の音の描写が秀逸で音まで聴こえてきた気がしました。さすが!