#19 影のファンタジー





あんしんする場所は影のなかだった

ひんやりしづかな影のなか



そこに入れば

わたしはわたしの影ごと消えて

世界からきれいに隠れることができた



小学四年の一学期



その女の子はスポーツ万能で秀才

くわえて誰よりも我が強く

クラス中の女子は皆

彼女の言いなりとなっていた



ある日の昼休み

円になりグーパーで

ドッヂボールの組み分けをした時のこと



彼女は武さんという女の子を除いた

すべての女子にグーを出すよう

皆の背中を

「グー」でトントンと叩いて回った



その仕草はこっそりというより

むしろあからさまで

わらいながら近づいてきた彼女が

わたしの背中を叩いたその瞬間

ぞわと

背筋に虫酸が走った



むしず、という言葉は知らなかったけれど

まさに真っ黒いゲジゲジが

何匹も連なって這い上ってくるような

そんな気色の悪さがあった



武さんは

一緒に塾に通っていたわたしの大事な友達で

件の彼女よりも体格がよく

誰からも好かれる女の子だった



そして武さんにも

彼女が良からぬことを謀って

ぐるりと歩いて回っていることは

はっきりと伝わっていたと思う



それでも

円の真向かいで泰然と立ち

逃げるでも怯えるでもなく

ただその時をじっと待っているように見えた



「グーとーパーでわかれましょっ!」



わたしは



わたしは

グーを、出してしまった



そして見事に

武さんだけがパーだった



本来ならグーパーは

半々になるまで続けなければならない



なのに

「武さん大きかけん、

一人でもよかろ?」



すぐに

してやったりの顔で彼女がそう声をあげた



巻き戻せない一瞬への

後悔と恐怖と怒りで

頭がぎちぎちに膨れあがり

わたしはものすごい形相をしていたのだろう



武さんが何かを察知し

こちらに必死に視線を送り

首を小刻みに横に振っている



手が汗で濡れてきた

心臓がいつにない速さで強く打ってくる

背中のゲジゲジはもはや体中に張りついて

吐き気をもよおすほどだ



「おかしいやん!」



気づいた時には

乾いた口から声をあげていた



「半々にせんと、おかしいやん!」



夏を呼ぶ日差しだった

運動場の白っぽい土からの照りかえしで

じりじりと灼けそうだ



「はあ?」



彼女が食って掛かる勢いで

わたしを睨んだ



その時



「平気やけーん」



のんびりとした

武さんの声がした



まるで

おかしなことは

ひとつも起こっていないかのように

いつもの、落ち着いた武さんの声



「平気やけん、これでやろう?」

「一人の方がやりやすいけん」



わたしを睨んだ彼女は

一瞬で声の方に向き直り

「じゃあ、やろう」

と満足げにわらった



広いコートの片方に

たった一人の武さんと

もう一方に

その他大勢の女子たち



けれど

彼女の思惑は外れ

試合は途中まで

武さん優勢で進んだ



ボールをお腹でがふと受け止め

団子になって逃げ惑う女子たちを

バッタバッタと仕留めていく



倒された子らが外野へ移動すると

そこでボールを回されてしまい

最後には劣勢になったけれど

それでも大健闘の戦いぶりだった



わたしはその雄姿に心うちで快哉をあげ

母に興奮気味に話したことも覚えている



武さん、かっこいいよ



自分が「おかしい」と

異を唱えたことは

なぜかすっかり忘れ

その夜は興奮冷めやらぬ呈で眠りに落ちた



明けて翌日から

わたしは武さんに変わり

クラスで

無視の対象となった





そして、昼休み

影のなかにいる



外遊びを促される時代だった



あてもなく出た外は

素っ気なく

無遠慮な光と声に溢れていて

ひとりで居られる場所はなさそうだ



ふと、

踏み入れた校舎の影



頭がひやと冷める

耳がきんと静まる



まとわりついていた声が

すとんすとんと

影の手前で落ちて

わたしのところまでは届いてこない



あんしんできる場所を見つけた気がした



そうして一週間か、二週間か

わたしは昼休みの度に

影のなかにいた



その辺の小石を集め

その中から色のつくものを発見し

ごつごつのアスファルトに

がたがたの絵を描く



ふかふかの苔に葉っぱをのせて

小枝で囲んで部屋をつくる



影は

さみしいとか

はずかしいとか

そういった感情も

ぜんぶすっぽりと、隠してくれた



その後

わたしへの無視は

突然終わりを迎え

つぎは他の誰かを転々とし

小学五年に上がる時

その彼女は遠くの町に転校していった



平和な日々となり

笑って話せるようになった頃

塾へと急ぐ自転車を漕ぎながら

武さんとあの日の話になった



「あの時の武さん、かっこよかったよ~」

と言うと



「あの時ちーちゃんがわたしを庇って

いじめられるんじゃないかってハラハラしたよ」

と、武さんが言うので



「え?わたし『おかしいやん』て言って

次の日から無視されたよね?」

と、訊き返した



すると「え??」と言った武さんは

いまいちピンと来ていない

といったふうの横顔になり

そのまま黙ってしまった



その反応にうろたえたわたしは

まだ去年のことなのに・・・

と、その記憶の違いに

漠然とした怖さを覚え



武さんが自然と話題を変えてしまうと

再びその話に戻してまで

ことの流れを追究することはできなかった



以来

誰かに話して

また辻褄が合わず

気まずい空気になるのが怖くて

ずっとさわれない箱に仕舞ってきた



それがここ数日

ある絵をきっかけに

「影」を思う日々を過ごしていて

小学生の自分が仕舞い込んだその箱を

記憶の奥底で見つけた



すっかり古びていて埃を被り

ふれるのに躊躇したけれど



大人になり

思いきってのぞき見たそれは

つまらぬ常識で一蹴するには

あまりに

うぶで美しく



そのまま

あの頃に感じたまま

そっと

蓋をとじることにした





はた、と



この頼りなげな箱に

もう見失わぬよう

名をつけてやろうと

思い立つ



ちいさな子供には説明のつかぬ

怪しげで、

ドキドキと胸が鳴るような



“もしかしたら

あのかげのなかで

わたしはほんとうにかくされていて

ちがうせかいにいっていたのかも”



自転車で風をうけながら

ひとり空想を膨らませたわたしが

小躍りするような名を



突拍子もない

けれど

この世界のすきまで

ややもすると起こるかもしれない



摩訶不思議なそれを



いっそ

”ファンタジー”と名づけてしまえ










text by haru  photo by sakura





















こはる日和にとける

いつかの情景、いつかの想いを綴るエッセイ

2コメント

  • 1000 / 1000

  • @uguisuuguisuさんにも仕舞いこんだ記憶がありましたか。そっか。なんだか、一緒に子供時代に戻れたみたいでうれしい。 「ファンタジー」って名付けちゃえば、どんな摩訶不思議な記憶も昇華できちゃう気がして笑 『鼻にツーンとくるような…』って感じて下さったのも、それもすごくうれしいです。 こちらこそ、こちらにコメント残して下さりありがとうございました♡︎
  • uguisu

    2023.05.29 09:24

    そっくりな記憶が私にもあります でも忘れてた。 鼻にツーンとくるような 優しく香ってくるような文章で 急に思い出しました ファンタジーだったのかもしれないなぁ あいまいな記憶が昇華しましたよ 素敵な時間をありがとう